戦いに勝つ

武運長久


西里にも、武将が崇めたと同じ神さまがいらっしゃいます。

また、西里にもお城があったことはご存知でしたか?

戦国時代のことや、武運祈願のことなどを、紹介していきます。

武家が篤く敬った信仰に「八幡さま」「お諏訪さま」があります・

はちまんしんこう

八幡信仰


全国には八万もの神社があるそうですが、その中でも最も多く祀られているのが八幡信仰・八幡神だそうです。
総本社は大分県宇佐市の「宇佐神宮」です。

八幡神はもともと宇佐地方におられた神さまという説や、
朝鮮半島から伝来した神さまとか、諸説あるようです。
朝鮮半島から伝わったという説によると、
伝わった頃にはすでに仏教の要素も含んでいたとされているようです。

八幡神は仏教修行の基本とされる八正道と深い関わりを持ち、
木像が作られたりもしています。
東大寺に秘仏として伝わる「僧形八幡神座像(国宝)」が有名です。

720年、九州に南部に住む民族「隼人(はやと)」が大和政権に対して反乱を起こしました。
この時、八幡神を信仰する人々の軍が、朝廷の鎮圧軍に力を貸しました。
隼人軍を打ち破り、大和政権の九州南部の支配が確立すると、八幡神は大和政権と結びついていきます。
とくに仏教を深く信仰していた聖武天皇も八幡信仰に援助を与えます。

東大寺の大仏建立のとき、聖武天皇は八幡神に事業の成功を祈願したそうです。
八幡神は女性の神官にのりうつり、神輿に乗って東大寺に向かったそうです。
そのため、八幡神は東大寺の護り神として祀られています。

時代劇などで、
「南無八幡大菩薩」と書いてある掛け軸などを目にしたことがあるはずです。
八幡さまは神様で菩薩は仏さま・・・あれ?と思う方も多いはず。
明治政府により、
仏教と神さまを明確に区別し、仏教を軽んじる政策が取られました。
いわゆる廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)。
それまでは仏さまも神さまも日本人の心を支える基本となるもので、明確な区別はなかったようです。

八幡さまというと、源氏の守護神、武家の守護神として有名でもあります。
これは源義家が京都の岩清水八幡宮で元服したことによります。
義家の子孫の鎌倉幕府を開いた源頼朝も八幡さまを守護神として鎌倉に鶴岡八幡宮を勧進しました。
ここから、源氏の守護神としてだけではなく、
武家の守護神として、全国に広まっていったそうです。

なお、山形県余目町(現:庄内町)にある「余目八幡宮」は「佐藤氏」の氏神様とされているそうです。

パワスポ 八幡さま

八幡さま

すわしんこう

諏訪信仰


一般的に「武神」として、信仰を集めています。
戦国武将、武田信玄も篤く信仰していました。
また、風雨を沈める神様としての信仰もあるようです。

パワスポ  お諏訪さま

お諏訪さま