稲荷さま
中島稲荷神社
中島地区の稲荷神社

中島稲荷神社
稲蒼魂命(うがのみたまのみこと)をお祭りする神社です。
稲蒼魂命はいろいろなご利益を持つ神さまですが、
特に穀物の神様として有名で、
各地の農耕信仰と習合して農村地帯に広がっていった歴史があります。
稲荷神は特に江戸時代に流行したようですが、
ここ中島稲荷も天保4年(1832年)に正一位(神階・神さまの位のひとつ)となりました。
中島に神社がいつごろから祀られたのかははっきりしないそうですが、
かつては今のところではなく、
大谷地堰の近くにあったそうです。
明治7年(1874年)に中島の村社と指定されたときに、
寒河江市石持の毘沙門堂のお堂を譲り受け、
今のところに移築したそうです。
中島稲荷神社が正一位を賜った、天保年間は、
江戸時代の三大飢饉の時期です。
このころは火山の噴火による地球的な気候変動や長雨・冷夏・洪水が多発し、
作物がよく育たなかったようです。
寒河江にあった柴橋代官所の「天保五年柴橋代官所附村々飢饉状況」を見ると、
中島地区の状況は西里内でも特にひどい状況でした。
中島の稲荷さまは、
食べるものが極端に不足した時、村の方々が、
食料の確保を切に願ったところだったのかもしれません。
毎日、充分に食べることができる現在。
中島の稲荷さまで
、昔の方々の苦労を偲ぶとともに、現在の生活ができることに感謝を捧げませんか。
稲荷さまについて
「五穀豊穣・商売繁盛」
天保五年柴橋代官所附村々飢饉状況
|
死失人 |
欠落・他出稼人 |
退転・潰百姓 |
当時空家 |
中島(嶋) |
33
|
23
|
5
|
7
|
白山堂 |
11
|
0
|
0
|
2
|
両所 |
25
|
17
|
4
|
5
|
天満 |
11
|
34
|
3
|
6
|
小泉(三泉) |
13
|
8
|
2
|
0
|
「河北町の歴史 上」 641ページ をもとに作成
.
参考にした本
・『西里の歴史物語』 河北町西里地区公民館
・『山形縣神社誌』 山形県神社庁
・『河北町の歴史 上』 河北町
・宇井啓『地名を歩く』寒河江市広報公聴係
・渋谷申博『日本の神社』新人物往来社 2009.12